先週、北海道を立て続けに襲った災害。
今年の台風は温帯低気圧に変わって接近していましたが、今回は台風21号のまま北海道に接近し、雨はそれほどでもありませんでしたが、風が強く、ビニールハウスが壊れたり、木が倒れるなどの被害が発生。
そして、その翌日の夜中に襲った地震。
北海道では初めて震度7を観測し、1週間経過しましたが余震は続いています。
この地震で北海道全域が停電し、早いところでは当日の夕方、遅いところでは翌日の夜には概ね復旧しましたが、移動電源車で対応しているところもあるようです。
停電によりどれだけのものが電気を頼って動かされていたかをまざまざと実感した人も少なくなかったと思います。
「備えあれば憂いなし」
北海道ではその感覚が鈍かったかもしれません。
コンビニ・スーパーもあっという間に品切れ状態へ。我も我もと買いあさる姿はこのことわざとは真逆でしたね。物流も停電によって途切れ、さらにスマホの充電のために人が並ぶ。
そして、大地震発生から1週間を経過しましたが、お店ではまだまだ品薄なものがありますね。
正常に戻るまではもう1週間掛かるかもしれません。
でも、正常とはどの状態なのか。昔を振り返れば、品物が欠品しているなんてざらだったような気がしていますし、なきゃないで良かった時代でしたね。それが今はスーパーやコンビニの陳列棚には欠品なくいつもびっしと並んでいる。
言ってみれば買わない品物も置いてある状態です。
あるもので過ごす、ないものはどうしようもない
人々は地震前の生活に慣れ過ぎていたため、「もの」がない時の判断が出来なくなっているのかもしれません。まさに依存型社会の姿を今回の地震で見せつけられた感は強いですね。
何故、そこまで依存型社会になってしまったのか。
生きるための術は与えられているもので賄い、お金だけを稼ぐようなスタイルになってしまったのが今の社会構造の姿であり、自らの力で生きようとすることが出来なくなっている。決してすべての人々に当てはまるものではないですが、さらにこの傾向は大きくなってきていると感じています。
この災害を契機に、心の作りから見直していかなければ、持続というものに繋がっていかないと思います。
そのためにも木育の理念や木育の目指すもの、すなわち「すべての人が思いやりとやさしさをもち、地球という大きな『つながり』のなかで自然と共存し、人間らしく生きることができる社会を実現」の達成に向けて、より木育の必要性を感じています。
今の社会の木育不足は明らか。
感性豊かで、考える力を有し、様々な生きる術を身に付けなければ。それは子供だけでなく、親たちにも言えることなんでしょう。
昔は改めて「木育」なんていうものの必要はなく、身にしみついて行動していましたが、今は「木育」というジャンルを定義付けしなければならない時代。
いろいろな手段を考え、実施していますがまだまだ道半ば。様々なプログラムを考えながら、持続可能な社会づくりのお役に立ちたいものです。
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